ビーチサイド

 

 日差しが青い海をきらめかせる。お世辞にも澄んだ水とは言えないが、それでも真夏の湘南はムード満点だ。
 人が溢れてイモ洗い状態になったビーチも、騒がしければ騒がしいほど雑然として、非日常を期待した男女の熱で浮足立つ。
「去年、ナンパした子が、ガチでハント系AVに出た子だったんだよな~」
 日差し除けの小さなテントを組み立てる三井の与太話に、この夏から仲間に加わった知世が目を丸くする。
 北関東にある壱羽組の次男坊だが、訳ありで実家にいられず、佐和紀さんが預かっている。現役の大学生だ。俺が抜けた穴を埋める世話係の新人でもある。
 女の名前が違和感のない美形で、若い分だけ繊細な雰囲気なのを、佐和紀さんはいたく気に入っているらしい。
 女が顔負けするような美人のくせに、美少年だの美青年だのに目がない人だ。いかついヤクザ者を従えても独特の凄みが出るぐらいだから、美形を控えさせているのはいっそう倒錯的な感じがする。
「サクラじゃないんですか。だいたいセクシー女優の変名だって聞きますけど」
 三井の戯言に、知世は律儀に答える。三井が振り向いた。
「ガチで素人だったよ。おっぱいがでかくて、まぁ、おっぱいだけ見てれば、イケるって言う……。たもっちゃん、いたんだ」
 苦々しく顔を歪めた三井は、ササッと後ずさる。
「くだらない話してんなよ」
「姐さんが来たら言わねぇから、いいじゃん」
「言うだろ、おまえは」
「そっかなー。これでも、気を付けてるんだけどなー?」
 へらへら笑って、ハーフパンツのポケットから携帯電話を取り出した。
「着く時間だな。シンさんが送ってくるって……。やっぱ、『アレ』ですかねぇ……」
 知世の肩に腕を預けるようにもたれ、手で日差しをよけながら道路を見上げた。アレと言うのは、爆音を響かせるスーパーカー・ランボルギーニだ。免許を持たない佐和紀の愛車だ。
 平日とは言え、学生が休みに入ったのでビーチは人だらけだ。悪目立ちすることは間違いない。
 日除けの小型テントは、今日もトイレからさほど遠く、立ち並んだ海の家も近い場所に設置してある。
 夏のビーチ遊びも今年で四年目。初めの年は佐和紀さんが暇を持て余して、毎日のように通った。
 遠野組の能見と揉めて、おとなしく遊んだのはその年の残りだけだ。その翌年もビーチ警察よろしく、佐和紀さんは荒いナンパをする男たちや、酔って暴れるチンピラと片っ端からケンカをした。そして、岡崎さんから直接ストップがかかったのだ。
 ケンカを一切しないか、ビーチへ繰り出す回数を減らすように言われ、佐和紀さんは回数を減らす方を選んだ。要するに、いまも隙を見ては殴り合いを楽しんでいて、そこのところはちょっと、アニキにも報告できなかったりする。
 なんせ去年は海の家が頼ってきたぐらいだ。知らない間に顔が売れていて、酔っ払いが手に負えないと日に焼けたバイトが走って助けを求めてくる。当然、一等地の場所も、海の家の店員が押さえているのだ。
 ヤクザだから関われないとも言えず、俺と三井は意気揚々と走っていく佐和紀さんの後ろを息を切らして追う。相手に致命傷でも与えたら大変だからだ。
 佐和紀さんは、やみくもに暴れまわる酔っ払い相手でさえ慣れたもので、軽く殴らせてからボコボコにする。もちろん野次馬がいるから、先にどちらが手を出したかは明白だ。 
 適当なロープで縛って転がし、水をぶっかけ、警察が回収に来るときは俺が代理で残る。海の家のバイトも野次馬も証言してくれるし、気の済んだ佐和紀さんは三井と即時撤収だ。
 面倒なのはその後で、アニキお抱えのネット関係を担当する『ミハル』という男に連絡して、SNSの監視を頼まなければならない。写真や動画が上がっていたら、しかるべき方面から削除を頼むのだ。おかげで拡散したことはないが、そろそろビーチ遊びも危ない。
 佐和紀さんが強すぎるのもよくないし、サングラスをはずしたら、女の子が息を飲むほど美形なのもよくない。本人に自覚がないだけで、顔つきはもう数年前とまるで違う。
「迎えに行ってくる。どこに停めるって?」
 俺が言うと、三井は携帯電話をいじった。
「たもっちゃんに電話かけるように連絡入れる」
「よろしく。知世、一緒に行くか」
 声をかけると、シンさんの名前にも気のないそぶりをしていた知世が肩を震わせた。素直な反応だ。
「行ってこい、行ってこい」
 三井に笑いながら追い払われ、知世は俺と一緒にビーチ沿いの道路へ上がる。しばらくすると携帯電話に連絡が入り、合流地点を指示された。道路を渡った向こう側にあるコンビニの駐車場だ。
 買い物をして待っていると、独特のエンジン音が聞こえてきた。地を這うような重低音のビートに、店内の客も外を見た。
 そこに停まっているのは、輝くほどに磨き上げられたスーパーカーだ。兄貴が免許のない佐和紀さんへ贈ったランボルギーニ。もちろん運転手付き。
 ステアリングとギアチェンジを任されるのは、シンさんだ。
 車の向こう側、運転席のガルウィングが跳ね上がり、真っ白なカッターシャツのシンさんが出てきた。車の前を回って、助手席のドアを開ける。
「え、そうなの?」
 と、店内のだれかがつぶやいた。どれほどの美女が出て来るかと思ったのだろう。低い車体から、男の手を借りて外へ出たのは、派手なハイビスカス柄のパーカーに虹色のハーフパンツを履いた男だ。ふくらはぎの形が眩しいほどきれいで、なぜかヒヤッとしてしまう。
 他の男には見せて欲しくない気がするからだ。
「男? 女?」
 また別のだれかがつぶやく。
 会計を済ませた知世を呼び寄せ、俺は早々とコンビニを出た。
 丸眼鏡のサングラスをかけた佐和紀さんが手を振る。
 どうしてそれを選んでしまうのか。独特のセンスは出会った頃と変わらない。いっそ遠慮がなくなったぐらいだ。
「邪魔だから、さっさと車を動かして」
 佐和紀さんにそっけなく言われたシンさんが助手席のドアを閉め、運転席へと回る。俺が促すと、知世がアイスコーヒーを持って走り寄った。
「優しいね、たもっちゃん」
 佐和紀さんからからかうように言われる。知世にシンさんと接触する機会を与えていることについてだ。知世にだって、それぐらいの旨味が会っていいと思う。
「佐和紀さん、そのサングラス……」
 続きに悩んで視線を逸らす。変なセンスには間違いないが、どこか可愛さも感じられて困る。いわゆる『キッチュ』ってやつだ。佐和紀さんに言わせると、『ヒッピー』ってことになるらしいけど。
「タカシは? 場所取りさせてんの?」
「女の子を物色してると思いますよ」
「またナンパAVの女の子探してんのか」
「……知ってるんですか」
「酔ったときに、あれこれと話してたよ。ほんと、女癖が悪いよなぁ。そんなに女が好きなら、周平の手伝いしてればいいのに」
「仕事になったらキツイんですよ」
「あいつ、女を食うっていうより、食われてるっぽいもんな」
 その通り過ぎてうなずくこともできない。佐和紀さんも返事は求めなかった。動き出したランボルギーニへ向かって軽く手を振る。
 ハザードが二回点滅して、痺れるようなエンジン音が駐車場から出ていく。
「五回点滅したらアイシテルなんだろ」
 別の場所で見送っていた知世が、戻ってくるなり佐和紀さんに聞かれる。知世はキョトンとした。それから困惑した瞳を俺へと向けてくる。仕方なく、肩をすくめた。
 俺だって懐メロだと思うような昔の歌だ。佐和紀さんの好みの中だと、かなり現代的だけど、それでも二十代になったばかりの知世にはわからないだろう。
「佐和紀さん、古いですから。だれから聞いたんですか」
「周平」
「あー、その世代かな」
「じゃあ、二回は?」
 佐和紀が首を傾げる。俺は驚いたふりで視線を向けた。
「え?」
 思いつくには思いついたが、口にはしたくない。もしも、シンさんがそのつもりでハザードを二回点滅させたなら、思いっきり酔って絡んでやりたいぐらいだ。
「五回がアイシテルなら、二回はスキ……とか?」
 真面目に答えた知世が、自分で言って視線を伏せた。
「たもっちゃん……」
 佐和紀さんの視線が、なぜかじっとりと俺を見る。悪いのは俺じゃないけど、佐和紀さんが押しつけてくる責任なら受け取るしかないだろう。
「……知世、顔に出てる」
 本人に指摘すると、ハッとした表情になった。まだ幼さの残る頬に、握った手の甲をぎゅっと押し付ける。
「ま、いいけどね。おまえのそういう顔は、エロイから」
 まるでアニキみたいなことを言って佐和紀さんが歩き出す。俺を肩ごしに振り向いた。
「タモツ。おまえは俺に何回、ハザードをたく?」
 一瞬だけ同情めいた視線を向けた知世が、そつなく視線を逸らした。
「俺は四回です」
 負けていられないから、はっきり答えた。
 五回がアイシテルで、二回がスキなら、四回はダイスキだ。
 佐和紀さんは「くだらない」と言いながら楽しそうに笑う。俺はその顔からサングラスを取った。
「丸い日焼けになりますから」
「あー、うん」
「テントに度の入ったサングラスを持ってきています」
「じゃあ、そこまでは返せ。見えねぇ」
「……だいじょうぶでしょう」
 手を掴んで、自分の肘へと引っ張った。わざとエスコートを買って出たことに気づいた知世が早足になる。俺の邪魔しないように、数歩前へ出たのだ。
「仕込みが良すぎるぞ、タモツ」
 腕に掴まりながら細めた裸眼で睨まれて、心の隅まで痺れてしまう。
 いますぐキスできたらいいのにと思う一方で、男相手に冗談のキスさえできないなんて、重症過ぎて気持ち悪いとも思う。
 この人を好きになってしまったことに対する嫌悪じゃなく、怖気づく自分自身の度胸のなさが、みっともなくて気持ち悪い。
 自嘲気味に笑うと、佐和紀さんの拳が軽く肩を叩いてきた。
「それ、イヤ。やめろ」
 ぼんやりとかすんだ視界でも、俺の笑い方だけですべてがわかると言いたげな口調だ。どこか拗ねたようにくちびるを尖らせる。
「すみません」
 素直に謝って、肘に掴まっている佐和紀さんの足元を気遣った。

 俺は、この夏、海外へ出る。
 もう大滝組にも籍はない。ただの『石垣保』に戻っていた。