『仁義なき嫁・愁景編』をお読みいただき、ありがとうございます。
楽しんでいただけたなら幸いです。
さて、今回もあとがきモドキをつらつらと。
・当初、サブタイトルは別のものでした。
そちらは暗めのイメージだったので、本編のラストが予定以上に爽やかに終わったことによりミスマッチに。
最後の最後で、変更。
『愁景』と付けました。愁いの風景=秋景色の雰囲気で。
・早く佐和紀と周平を元の状態に…と感想でもいただくのですが、もうしばらく我慢してください。(感想を否定するわけじゃないですよ!)
人間はみんな、なんらかの寂しさを知らないと、他人に優しくなれないような気がします。そして、自分の問題に周平を巻き込みたくない、佐和紀の男心(独立心)もあります。
『不幸でなければ、幸せだろうか』
このフレーズは仁嫁無印からの佐和紀のテーマです。
でも、元に戻るのでしょうか?
一度失ってしまったものは、二度と元の形では戻りません。
よく似ているけど、違うもの。
それが、佐和紀と周平にとって、よりよい「新しい関係」になればいいなと思います。
ずっと、別居が続く、とか、夫婦じゃなくてもいいよね、とか、そういうことにはならないと思うのですが、革新的まで行かなくても、なにか…と思います。
これは、『私が思う』というよりは、物語自体がその方向へ舵を取っている感じです。
頭の中の周平が、「元通りはないよ」と言ってくる感じでしょうか。
そもそも周平という男は「嫁を家に入れておく」というタイプではないです。それが佐和紀でなくても、そうだったのでは…と思います。
受付嬢の静香に新しい男を斡旋せず、一人で生きていけるようにしているところとか、男も女も差を付けずに扱っている感じですね。
岡村たちと同じように静香を扱っています…。
それはそうと、りっちゃんの存在があって、なんとなく、元に近い状態に戻れそうな気もします(私の中で…。彼が何かをするということではなく、物語全体の雰囲気としての話なのですが…。)
りっちゃん、引っ張り出しておいて良かった。
・『あの男』は三井のつもりでした。
久しぶりに出てきて、いきなりの、高速ハイハイがこわい。
も、真柴かも知れなかったなとも、あとで思ったし、周平だったとおっしゃる方もいて…。
とりあえず。
公式の答えは、三井。
ということでお願いします。
・夫婦のためのデートが美術館なのは、周平が行くと言ったので佐和紀を差し向けたまで…です。
「わざわざ言うんだから、教えとけって事だよな-」というイメージ。
タモッちゃんは佐和紀の前には現われませんね。怒られるから。
そして、佐和紀がいいなら、周平と元に戻らなくても平気。
そうなると、身の振り方を考えないといけなくなるから、情報は集めているという感じがします。
・すみれの赤ちゃんの名前については、群青編のときから、こういう流れにしようと決めてありました。
佐和紀は本当に楽しみにしていたので、周平はそれを忘れずにいたわけです。荷物は捨てるけど。
・ほんと、なんで家財道具を捨てたかな…(わたしが、それを言う・笑)。
実は、ありました!という展開は皆無です。家が焼けたと思って、買い揃えて欲しい。
そう言えば、ラボルギーニ。
あれは現金化して佐和紀の資金として流れているかなと想定。
置いておくほどの価値がある車ではないので…。
高額なだけで、プレミアとかついていない新車だから。
そもそも、購入時に誰の名義にしただろうかと考えていて。
周平でも佐和紀でもないんじゃないかと思ったり(彼らはヤクザなので)。いろいろ複雑なので、本編では触れない案件…。
・京都での、桜河会の出迎え。
あれはプロットになく…。
真柴と岡村にしてやられてしまった紅葉さん。
真柴、ほんと、男前。なんか、好きです。
ヤクザだけどマトモなんだよね~。(普通のマトモとは違うケド)
私の頭の中では、昔の坂口憲二さん。
・仁嫁のキャラはすべて、俳優さんでキャスティングしてます。
年代はいろいろなので、誰々さんの若い頃…も多いですが。
でも、岡崎だけぴったりな人がいなくて…(佐和紀もだけど)。
このあたりが文庫のキャラぶれの原因に。ごめんなさい、私のせいです。
誰か、岡崎を探して…。ちなみに、いまは渡部篤郎さん。
ちょっと、上品なの。でも、ちょっと上品なぐらいの顔立ちがオラオラしているのが、佐和紀の好みだろうと思うの…です。
でも、本文では上品とか書かないから……。書けば良かったな…。
(だって、脇役だもん…。そして、岡崎もタチが悪いんだもん)
桜井さんにイラスト描いてもらったときは別の写真を提出したような気がします。あちらが皆さんにはしっくりくるのかな?
・岡崎と言えば…。周平と佐和紀が入ったラブホは、地名・岡崎にあるんですよ。だから、周平は絶対に地名は言わない。
・道元。私もえらそー!って思いながら書きました。
(偉そうじゃないですかと感想をいただいた)
彼はそういうキャラだし、ちょっと田辺のポジション。
あれで佐和紀の下についたかというと、それも違う気がします。
佐和紀はもう少し悪い人間にならないとダメだなー…。
と思うこともあります。
・道元と岡村。
別に仲良しではないのです。
佐和紀が「道元きらい。もういらいない」と言ったら、あっさり切り捨てると思います。見たい、見たいね~。
でも、彼がいないと真柴が困るので、あり得ないのですが。
岡村は、桜河会と真柴のため、しいては佐和紀のために、道元の尻拭いを手伝っていただけ。
そこを、佐和紀が気にするとは思わなかったんじゃないかな。
周平がいれば、佐和紀に対してきちんと説明したかも知れないけど、岡村は「周平的な視野」は持っていないのでしません。
岡村が周平の下にいたとき、周平は、一を語れば十を知ったので…。
佐和紀を信用しているのか。
それとも、忙しさにかまけているのか。
うーん。どっち…? 後者?
でも、岡村は道先案内人になってはいけないポジションなので、しばらくはうまく行かなくても、今のままが正解だと思ってます。
(このあたりは、キャラに任せているので、私も行動を理解するのが大変です……)
岡村がすべてを説明してしまうと、佐和紀は自分で考えなくなる。
どうする?と聞いてしまう。
なので、今の状態で擦り合せて、佐和紀の命令が出た際には何倍もの成果を出せれば…。ね…シンさん…。ね…。という感じです。
主従の出来上がりが、楽しみですね……!
・感想で「美術館→平安神宮のあたりで、ウブだった頃の佐和紀を思い出しました」といただきました。
これは、すごく繊細に受け取っていただけていて嬉しいです。
理由は簡単で、佐和紀はこのあたりのシーンで、周平に恋をしているからです。「やっぱり好き」ではなくて、結婚もして何十回とセックスしているけど、また新しく恋に落ちている。
夫婦でも、何回だって恋に落ちますね…。
・文庫本を渡すというのはプロットにもなく……。
周平がなんとなく持っていて、なんとなく渡し、あーそういうことかと、私も納得(笑)。
人はきっと、学んだことの内容を忘れても、身についていないと思っても、学んだと言う事実だけは身に染みているのだと思います。
周平は佐和紀に、そういうことを伝えたかったし、言葉では答えを与えては、道を示すようでダメだったのだと思うのです。(文庫を渡したこと自体は、周平の気まぐれ)
示唆したことを違えず受け取る佐和紀は、自分で思うよりもいろんなことを学んで来たのでしょうね。特に「学んでいく=思考する」ということを。
と、思います。
これは要するに、家庭教師だったタモッちゃんが凄いんですよね。
学校の勉強なんてどうでも良いから、思考力を付けさせようという考えが、彼にはあって。
それは佐和紀のためではなくて、本来、タモッちゃんが持っている考え方なんだと思いました(そう…本編を書きながら思いました)
周平はそれを知っていて、なおかつ、タモッちゃんの生徒になるべき人間が大滝組にはいなかったんでしょう。
佐和紀に対して先生をあてがったつもりはありません。
佐和紀とタモッちゃんは、自然とあの関係になったのだと思います。
そして佐和紀に対してタモッちゃんの教育が有効だったのは、「お稽古ごとが平気だった」の一言に尽きます。突き詰めれば、生育過程において、教育を施されることへの基礎があったと言うことです。
まぁ、特殊な教育だったのですが…。
・周平が渡した文庫本は、室生犀星です。
元から好きだったわけではなく、軽井沢に行ったときにでも、散歩で室生犀星の別荘を見に言ったりしたんじゃないかと思います。
周平はずっと佐和紀のことが頭にあるので、ワゴンに入っているのを見て、軽井沢を思い出して、手に取って……。
そして、単純に、楽しめたから渡しただけ。
これが「智恵子抄」だと、まったく意味が変わりますね…。
私の手元にある詩集から選んだのですが、角川文庫版で室生犀星のいくつかの詩集から抜粋した内容です。タイトルがね、「愛の詩集」って言うんです。
これは、出来過ぎなので(笑)、周平が渡したものはごく普通に「室生犀星詩集」であって欲しいような…、愛の詩集であってもいいような。
今回のあとがきもどきは、こんな感じです。
シリーズが長い上に、人間関係&心理が複雑なので、読み進めるヒントになればいいかなと思っていろいろ書いております。
いまの私の心情ですので、次回までには変わっていることもあります。
ご了承ください。
最後に。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
感想をくださる皆さんにも感謝です。
しかしながら、書きたくても書けない方や、書きあぐねてしまう方もいらっしゃると思います。買っていただけるだけで、応援になっています。大丈夫です。
もしも、溢れるものが文章になったら、そっと送ってください。
感想の裏にはそれぞれ、読者さんの置かれている状況や問題や悩みが透けていたりします。もちろん、透けない方もいますが…!(それはそれで良き)
小説がなにかを解決することはありませんが、心に蓄積して置いたものがじわじわと身に染みて、あるとき思い悩んだあとで、すっと考え方が切り替わっていくのだろうと思います。
まるで目が覚めるように。
その蓄積のひとしずくになれたらいいなぁと思います。
次回は、早ければ秋、遅くて冬の発行を予定しています。
どうぞよろしくお願いします。
高月紅葉 2020/05/19